岡山県 岡山市 北区  「備中高松城」

 続日本100名城 (171)

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 130/200 永禄年間備中高松城主三村氏の武将石川氏によって築城されたと伝わる 沼や水田に囲まれた平城で沼城とも言われる 毛利側に属していたため信長の命を受けた秀吉に水攻めにされ城主清水宗治の切腹で開城と毛利との和議が整う 秀吉の中国大返しの重要な舞台の一つ

重要な歴史舞台ですがはっきり目に見えるものが少ない遺構です
駐車場にある案内板と水攻めの水位表示
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スタンプがある資料館
最近この辺りを襲った水害の写真があり低地であることがわかりました
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城址公園の眺め
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本丸
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50m四方ほどが一番高いとされます
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二の丸
二の丸の外側に武家屋敷があったと言われています
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城主切腹後 家臣が後を追い刺し違えたとされています
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ごく小さな祠があるだけです
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「舟橋」は舟を並べて橋にしたというところ
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水攻め側の遺構 蛙ヶ鼻(かわずがはな)にある公園
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発掘の展示
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土嚢?の俵あとや杭の跡があります
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芝の境目のラインあたりを土塁堤防続いていたものと思われます
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堤防の一部とされる土塁
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